/ 2017.09.25

2児のパパ目線、そして新聞記者の目線で子育てや世の中の気になることを読み解く、高橋天地さんの「新聞記者パパのニュースな子育て」。今回のテーマは「老老介護」と「ダブルケア」について。高橋さんのご家族の経験から介護について考えます。

執筆

高橋天地さん

平成7年、慶應義塾大文学部独文学専攻を卒業後、産経新聞社へ入社。水戸支局、整理部、多摩支局、運動部などを経て、SANKEI EXPRESSで9年間映画取材に従事。現在は文化部で生活班を担当。育児、ファッション、介護、医療、食事、マネーの取材に精力を注ぐ。

特別養護老人ホーム入所が決まった、81歳独身の長兄(伯父)の場合

7月18日、この日喜寿を迎えた母のもとに待望の知らせが舞い込んだ。近くの県営アパートで一人暮らしを続けてきた独身の長兄(81)=私の伯父=の特別養護老人ホーム入所決定通知だった。

手当たり次第提出した、数十にも及ぶ入所申請書のうちの1つが実を結んだ。母が提出したのは今年2月17日だったから、承認されるまで約半年。

数年かかるケースもザラとされる中、不整脈を患っていた母自身の手術・入院も急遽決まったことも考慮された可能性も高いが、それにしても母は運がいい方だったのかもしれない。

5000円札と携帯電話だけを握りしめ、立ち往生していた長兄

近所に住んではいるものの、個人主義の長兄と母はかなり長い期間疎遠だった。だが、昨年10月初旬の早朝、5000円札と携帯電話だけを握りしめ、立ち往生している長兄を保護してくれた方が、携帯のアドレス帳を頼りに母に連絡をくれ、促されるままに母は迎えに行った。

痩せこけて別人のようだった

ベースを担当するバンドマンとして生計を立てていた時期もある、車好きでおしゃれな姿は、すっかり変わり果てていた。

「要介護3」の認定を受けていた長兄は、人ときちんと会話を交わせるし、過去の記憶もしっかりしていた。しかし、すでに生活する意欲も能力も失った、いわゆる「セルフネグレクト」の状況にあった。

聞けば「2年間」も風呂に入らず、具合が悪くても医者に行かず、トイレで排泄(はいせつ)行為に伴う一連の流れも理解できなくなっていたという。結局、他に身寄りもない長兄をどうしても見捨てておけなかった母が、そこからそのまま10ヶ月介護を担うことになった。

この2年間、父と長兄の2人を介護してきた母

昨年6月に生まれた次女をあやす母の写真です。すっかり痩せてしまった

実はこのとき、母は、最も悪性度の高い脳腫瘍とされる「膠芽腫(こうがしゅ)」を患い、ホスピスで緩和ケアを受けて過ごしていた父(昨年10月下旬に他界)の看護も抱えていた。

やはり10カ月近く、歩くことがままならなくなった父を自宅でトイレ、入浴と介護しながらホスピスへの入所の順番をひたすら待った。

つまり、母は、この2年間、父と長兄の2人を相次いで介護することに精力を傾けてきたのだ。

これで拷問のような生活から解放されるかと思うとほっとした。やっと人間らしい生活ができる。

兄ちゃんが『もう死にたい』と漏らしたことがあったけど、『私の方こそ死にたい』と言い返してやったわよ。

夜中でも何でも、こっちは何かあれば駆けつけなければならないんだからね。

本当に久しぶりにわが家を訪れ、会わないうちに1人で歩くようになった次女(1歳1カ月)の成長に驚き、相好を崩す母の愛嬌(あいきょう)のある丸顔は、すっかり細くこけてしまい、シャツもズボンもブカブカになっていた。

老老介護の割合は、過去最高の54.7%()もはや他人事ではない

※介護者と要介護者が同居する世帯のうち、双方が65歳以上の割合

高齢化社会を迎えた日本では、家庭の事情によって高齢者が高齢者を介護せざる得ない状況に追い込まれる「老老介護(ろうろうかいご)」が問題になっている。

そればかりか、最近は介護する人と介護される人がともに認知症を患う「認認介護(にんにんかいご)」なる言葉まであるという。

増え続ける「老老介護」。介護者と要介護者が共倒れを防ぐ政策が急務

厚生労働省が6月に発表した2016年の国民生活基礎調査によると、介護者と要介護者が同居する世帯のうち、母のように75歳以上同士による老老介護の割合は過去最高の30.2%となり、初めて30%を超えた。

また、65歳以上同士の割合は54.7%でやはり過去最高となった。いずれも04年の同調査と比べると10ポイント以上も増えている。

こうした世帯は、少子高齢化などを背景に今後も増加することが見込まれ、介護者と要介護者が共倒れしたり、社会的な孤立を深めることを防ぐ政策が急務との声も耳にするようになった。

育児と介護の同時進行する「ダブルケア」の問題は、すぐそこに

わが家の場合、働き者で、困った人を放っておけない人の良い母が幸い健在だったため、老体にむち打って身近な人たちの介護を引き受けてくれたが、私は仕事、妻もフルタイムの仕事と2人の子育てで十分なサポートはなかなかできなかった。

しかし、もし母のような存在がいなかったら…。いや、いたとしても、自分も体を壊していたら、そのとき誰がその重責を担うことができただろうか。

考えると暗澹(あんたん)たる気持ちになり、つい、また今度疲れていないときにゆっくり考えてみようとそっと先送りしてしまうが、それをのっぴきならない現実の問題として突きつけられている人たちもいる。

育児と介護の同時進行を意味する、いわゆる「ダブルケア」の問題は、すぐそばにあることに気づかされる。こうした問題には国も自治体も取り組んでおり、企業も多様な働き方や福利厚生制度として整備を進めつつある。

「男社会」のルールを忖度し周りの評価におびえる、我々男性の心のあり方

だが、平成生まれが社会の中堅どころになろうという現代においても、介護でも、育児でも、事が「人の世話」となると、何となく女性の問題、と考えられがちなのが実際のところではないだろうか。

一家の大黒柱、働き盛り、経費削減による慢性的な人不足…。男性側にもプレッシャーや言い分があるとはいえ、他人事と口をぬぐっているだけでいいのか。

限られたリソースで問題を乗り切っていくとき、一番のネックになるのは、ともすれば、

子どもや老人の世話は、やっぱり女性の方が得意だから…

育児や介護休業とったり遅刻早退したり、そんな働き方ばかりしてたのでは飛ばされてしまう

と「男社会」のルールを忖度(そんたく)し、「普通」と違う働き方を自主規制し、周りの評価におびえる我々男性の心のあり方かもしれない。

自分にできることは何か

母は今、うちから電車で30分の距離に生活している。母と身を寄せ合って暮らすもう一人の独身の次兄(79)=私の伯父=も心臓肥大で入退院を繰り返し、今年4月初めに起こした発作では、ICU(集中治療室)に入り、後日、ペースメーカーを埋め込む手術を受けた。

人の世話がひと段落した母は8月下旬、ずっと先送りにしていた自分の不整脈の手術をする。誰にでも訪れる老いとそれに伴う介護の問題、そしてその先の別れ。その時々に自分にできることは何か。

そういえば、膠芽腫と診断された父が「余命1年」を宣告されると、ネット検索などは詳しくない母が、どのようにかして名医を調べ、セカンドオピニオンを求め、札幌市の病院へと足を運んだ。

昨夏、母と父の入院するホスピスに見舞いに訪れたときのもの

自分にとっての「普通」の状態から、誰かのために労力や時間を割いて尽すこと

こうした母の奮闘を知り、私の中高時代の友人の温かな計らいで、米国在住の日本人で脳腫瘍の権威にもメールで父の治療法を相談してもらうこともできた。結論は変わらなかったが、私はできることはすべてしてやれた-という気持ちにはなれた。

まずは自分にとっての「普通」の状態から少しだけ誰かのために労力や時間を割いて尽くそうと思うことから、自分のできることが始まるのかもしれない。

母のレベルには遠く及ばないものの、そう思う。今は、やっと訪れたみんなが健やかで平穏な時間のありがたさを味わい、この時間が少しでも長く続くことを心の底から祈りたい。