2016年4月14日に震度7、6月30日までの約2か月半の間に震度4以上の余震が143回発生した熊本地震。子どもたちにピアノを教えている田上淑恵さんが過ごした避難生活。避難所生活を送る子どもたちを笑顔にしたこととは?

ピアノのレッスンを終え、片付けをしていた私。3歳の娘と夫は…

新築したばかりの家で、夫と3歳の娘の3人家族。ピアノ講師として子どもたちにレッスンをしています。この日もいつも通り、最後のレッスンを終え、片付けをしていたそのとき1回目の揺れがありました。

ちょうどそのとき、夫はベッドで子どもを寝かしつけていました。次の大きな揺れが来たのは夜中で、まさか2回目があるとは思っていなかったんです。娘は寝ていましたが、急に抱きかかえられて外に出たことは本人も覚えていないようです。

念のためにと枕元に置いていた家とクルマの鍵は、その大きな揺れでどこかへ。携帯電話も同じくベッドの奥の方に飛んでいき紛失。とにかく必死で家の外に出ました。

キーケースの中のカギは無事。2匹のネコと別れ、避難所へ移動

地震がおさまってから、夫が命がけで家に入り、玄関脇のキーボックスに掛けてあったものを取り、戻ってきてくれました。枕元に置いたはずの家とクルマのカギと携帯は揺れでどこかに飛ばされてしまい、見つかったのは家に戻れてから。大事なものは毎日必ず同じ場所に戻すことが大事だと実感しました。

飼っていた2匹のネコとは会えず、あきらめて、ここからクルマで避難所へ移動しました。

避難所、芝生広場と避難場所を転々と…今思うと、ひとつの場所にいた方がよかったかも

避難所の中学校では、山に囲まれていたせいかなかなか避難物資が届かず、ようやく届いたときには奪い合いになって「ああ、ここにはいられない」と思いました。

幸いケガをしていなかったので町内の芝生広場に移動。数日後さらに移動して、熊本市内に住む実家の家族と合流。車3台をならべて過ごしました。いま思えば、避難所なら避難所で、一定の場所にいれば、物資や情報が得られたのかも。

今、常備しているのは水。とにかく水で手を洗いたかった

水がなくて、一番困ったのはトイレを流せないことです。簡易トイレの設備ができるまで、ビニール袋にオムツ広げて用を足したり、ちょうど生理中でナプキンを数日変えられなかったり、とにかく女性は大変だなと思いました。

思い出すのは、とにかく手が洗いたかったこと。ウェットティッシュで拭いても、爪の中の黒い汚れが落ちないんです。村によっては、湧き水が出る場所や支援物資が早く届いたところもあったようですが、給水車が来るまで家族と一緒に濁った川の水を汲みに行き、使っていました。

水が通ったのは災害から半月後で、そのころには家に戻り、辛うじて無事だった浴室のバスタブに水をはって使いました。いまはとにかく水を常備しています。

また、オムツやトイレットペーパーも車に積んでいます。子ども用に少し前まで好きだったもので「おもちゃバッグ」を作っておきます。使わなくなったものでも、災害時には遊び始めたりするものなので。

避難生活で重宝したのは、乾電池で光るランタン

電気が通っていないので、夜は真っ暗になります。クルマのガソリンも大事なのでエンジンをかけっぱなしにすることもできず、それでも光が欲しい。そんなときに重宝したのが乾電池で光るランタン。このランタンのおかげで、「いつもの夜」みたいに、温かい光の下で娘に絵本を読み聞かせをしながら、寝かしつけができました。

備蓄品。このランプが災害時とても重宝しました

子どもたちの笑顔が戻った“発表会”

避難しているときは、ピアノのことなど考えもせず、音楽を聴くゆとりもありませんでした。教え子たちの家庭の被災状況もさまざまで「もうピアノのレッスンなんてできないだろうって思ってたんです。

それが地震から数週間が経って、避難所で暮らす教え子のお父さんやお母さんから「先生、ピアノ弾きに行っていいですか?」と聞かれて、「もちろん、いつでも来て!」と言いました。レッスン室のグランドピアノは無事だったので開放したら、子どもたちが練習しに来てくれて。

6月のはじめに、テラスに電子ピアノを出して発表会をしました。プレゼント交換をしたり、お菓子を食べたり、久しぶりにみんな笑顔で楽しい時間を過ごしました。このとき“ピアノの先生”を続けていてよかったと実感しました。

左が発表会の会場となった部屋。右は、災害直後のこの部屋の様子

子育ての「こうあるべき」を寛容にした避難生活

それまで「オムツをはずす」「カップ麺は食べさせない」など、娘に対して躾に厳しい部分もありましたが、避難生活では、支援物資の列に並んで受け取るカップ麺も大事な食料ですし、夜のトイレが怖いのでおむつは必需品。

子育ての「こうあるべき」など関係ないなと思いました。大人を気遣ってか、わざとおどける娘にどんなに気持ちが救われたか。災害時はとにかく子どもに恐怖心を与えないよう、いつも以上に甘えん坊さんを受け入れていました。

避難生活をしているときの遊び「新聞紙ドレス」と地震後片付け中の子どもの様子

ママたちへのメッセージ

新築だった家に戻ると、エアコンは壁からぶら下がり、ガラスは割れ、今も外壁にはクラックが入っています。少しずつですが、元の暮らしに戻りつつあるなか感じるのは、この災害を乗り越えて、家族の絆が一層強くなったこと。

娘はテレビで地震の映像を見るたびに「じしん、だいっきらい!」と言います。自分の大好きなおもちゃや絵本はもちろん私たちが大事にしていたものも奪ったということを理解しているようでやさしさと成長を感じます。

娘の地震ごっこの様子

最後にネコ2匹…。自宅に戻ったときにタンスの中に身を寄せていたのを見つけました。再会時はかなり痩せていましたが、今も元気に一緒に暮らしています。

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