2児のパパ目線、そして新聞記者の目線で子育てや世の中の気になることを読み解く、高橋天地さんの「新聞記者パパのニュースな子育て」。今回のテーマは「gifted/ギフテッド」マーク・ウェブ監督のインタビューから、子どもの幸せについて考えます。

執筆

高橋天地さん

平成7年、慶應義塾大文学部独文学専攻を卒業後、産経新聞社へ入社。水戸支局、整理部、多摩支局、運動部などを経て、SANKEI EXPRESSで9年間映画取材に従事した後、文化部で生活班を担当。育児、ファッション、介護、医療、食事、マネーの取材に精力を注ぐ。平成29年10月1日より1年6カ月ぶりに映画担当となる。

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スパイダーマンシリーズの監督が描く、独身中年男と姪の愛情物語

「アメイジング・スパイダーマン」シリーズのマーク・ウェブ監督(43)が手がけた「gifted/ギフテッド」が全国公開中だ。アメコミのヒーローを描いた超大作から一転、ごく普通の独身中年男と実の娘同然に育てた7歳の姪との愛情物語。

先日、プロモーションで来日したウェブ監督に作品に込めた思いを聞いたところ、ずばり「子どもの幸せとは何かを真正面から描いた作品です。」と胸を張った。

インタビューに答えるマーク・ウェブ監督(43)

幼い2人の娘の親である私にとっても、作品は実に示唆に富む作品となった。子育てに忙しい読者の皆様にすれば、映画どころではないかもしれないが、観ればきっと得るものがあるだろう。

子どもの自然な演技を引き出すために

ウェブ監督はトム・フリンの脚本に飛びついた。「シンプルな状況と物語。4年余り、スパイダーマンの撮影に明け暮れたので、特撮などを使わない映画作りの基本に戻りたかったのです。」と心境を語った。

ただ、子役の演技が成否を大きく左右する内容。一筋縄ではいかない。「過去の経験で、子どもに複雑な演技をさせることの困難さはよく知っているので、不安は大きかった。」と打ち明けた。

「しかし、子役を使った名作も多いわけです。だからこそこそ挑戦したかった。」とも言う。

当然、キャスティングは難航した。オーディションではユーモアのセンス、即興の演技力、豊かな感情表現を重視した。

ウェブ監督は「即興で自然なリアクションをこなすマッケナ・グレイスを見たとき、瞬間的にこの子だと決めました。」と声を弾ませた。

撮影では子どもたちの自然な演技を引き出すため、隠し撮りの手法を多用したそうだ。

「教室の後ろにカメラを据え、先生役のジェニー・スレイトにだけ合図を送ってカメラを回しました。子どもたちから“演じる”という感覚をなくしたかった。マッケナはそんな積み重ねから、自然な演技とは何かを学んでくれました。」

屈強の男との印象が強いクリス・エバンスの新しい一面を引き出したのは特筆に値する。エバンスの存在自体が正義の味方「キャプテン・アメリカ」なのだから。

ウェブ監督は「最初、フランクは抑えた演技であまりメアリーにも触れない。でも徐々に彼女と別れたくない気持ちが高ぶってくると、愛情表現が豊かになってくるように演出しました。」と振り返った。

監督が考える、子どもの幸せとは?

では、子どもがいないウェブ監督に、フランクと同じ立場だったらどうするだろうか。映画への道を進んだ自身の体験をふまえ、なかなか硬派な答えが返ってきた。

「子どもは百人百様。“子どものニーズは何か”、“そのために自分はどれだけ犠牲が払えるか”を考え、突き進むことではないでしょうか。」

「大事なのは世間からどう見られるか、学校などで賞状を何枚もらったか、ではありません。子どもが幸せを実感でき、“自分は価値ある人間だ”と思って、本当にしたいことができるかどうかに尽きます。言うは易く行うは難しなんですけれどね。」

子どもが授かった才能を、親はどう育むか

イチロー(米大リーガー)やシャラポワ(プロテニスプレイヤー)、最近では藤井聡太四段(将棋)。

自分が生まれもった才能を活かし各界で活躍する有名人の親は、どのようにして星の数ほどある選択肢の中から、子どもが授かった才能は「これだ!」と見い出し、ときには嫌がる子どものお尻を叩きながら、信じたひとつの道を突き進むことができたのか、と思う。

一度「やりたい」といって始めたことでも翌日にはやっぱり嫌だということも日常茶飯事の年頃。首根っこをつかまえてでも頑張らせなければならない場面なのか、無理強いせず見守るべき場面なのか、その見分けは本当に難しい。

わが家の長女(4歳)の場合

わが家の長女(4歳)も保育園では年少クラスになり、保育園の向かいに幼児向けの教室がオープンしたのをきっかけに、鉛筆の持ち方教室の無料体験に行ってみた。

慣れない教室の雰囲気に始めはそわそわ、肝心の鉛筆の持ち方では、途中で明らかに飽きたという表情も見せていた長女だったが、うずまきや線を書きなぐったプリントに先生が赤ペンで大きな「はなまる」を付けてくれると、とたんに目の色が変わった。

急いで続けて次々とプリントに線を描き、他の生徒の様子を見て回っている先生を追いかけてまで「はなまるを描いて!」と迫っては席に戻るよう促される。

おみやげにもらった宿題も帰宅するなり急いで開封し、「早くはなまるをつけて」とせがむ。妻がはなまるをつけると、長女は「お花のここが切れてちゃってるよ」などと細かく注文を付け、出来上がったはなまるをうっとりといつまでも眺めていた。

何をするのかは大した問題ではなく、やっていることを見守り「よくやっているね」と認めてもらうこと

結局のところ、この子にとってはそれが一番重要なのだと改めて思った。

しかし、これは別に子どもに限ったことではなく、大人の世界でだって会社の人事評定、フェイスブックの「いいね!」の数やコメントの有無など、まったく同じ動機でいろいろなことが行われているともいえるように感じる。

子どもをせかすとき、親の見栄やエゴをぶつけていないだろうか

これから成長するにつれ、選択肢はますます増えていき、子どもの特性や好みの見極めの難易度も上がっていくだろう。

成長の過程、なかなか思う通りに学習や活動が停滞してしまうとき、せかす前に胸に手を当ててちょっと一呼吸、いま自分は子ども本人のためを思って発破をかけようとしているのか、それとも自分の見栄やエゴ、承認欲求が満たされないから苛立ちをぶつけようとしているだけなのか、確認する余裕はいつももっていたいものだ。

ときには選択する道を間違えたり、好みが変わったりすることもあるだろうが、はなまるをうっとり眺める長女のこの表情で、これからもいろんなことに目を輝かせてチャレンジしてもらいたい。