わが子の反応に頼もしさを感じる

私は子どもの頃、親の言うことに「絶対!」とまではいかないまでも、かなりの信頼を置いていた気がします。小学校低学年くらいまでは、先生の言うことよりも親の言うことを優先していたくらい、それは正しいことなのだと思っていました。

もちろん今では親だろうと何だろうと同じ人間であり、年齢や能力に関係なく誰もが間違いうることを自明のこととして受け入れるに至りましたが、そんな風に考えられるようになったのはいつからだったでしょうか。少なくとも4歳(次男の年齢)ではなかったように思います。

人によって受け取り方は違うと思いますが、私はマンガに描いたようなわが子の反応に頼もしさを感じました。大人が間違うことについて不安を感じたりショックを受けたりするのではなく、むしろおもしろいと感じる。のみならず、それを逆手にとるとはなかなかの策士です。

そこには一種のイジワルさもあったのかもしれませんが、私はむしろ信頼を感じました。次男は私を試したのではないかと思うのです。というのは、以下のようなイメージです。

どうも大人は常に正解を選べるわけではなく、間違うこともあるらしい→だったらそんな間違いがちな人間に従う理由なんてないね!→とやってみた時に、はたしてこの大人はどんな風に反論してくるのかな?

「いいから黙って着替えなさい!」なんて声を荒げたりしていたら、私の負けでした。権力行使しか問題解決の手段がないのだと認めるようなものですから。

大人も間違うこともある、だからこそ…

私と次男の関係性が、「やだ」と「ダメ」のぶつかりあいにしかならないような状況に陥るのを回避するためには、荒っぽい方法に頼らずとも、意図を伝える術があることを示す必要がありました。

それができる大人なのか否か、次男がどこまで意識したかはわかりませんが、試されたような気がしました。「間違うこともあるようだ、しかしだからこそコミュニケーションをとる必要がある」、そんな風に感じてもらえる大人であれたらいいなと思います。

この記事を書いたライター

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パパ頭さん
絵日記・漫画家

高校で倫理を教えつつ、妻子との暮らしを描いた漫画を執筆、SNSで公開中。おっとり優しい長男と元気で愛嬌のある次男とに囲まれ、賑やかな毎日を送っている。著書は『パパが育休とってみたら妻子への愛が深まった話』(KADOKAWA刊)

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