/ 2018.06.01

2児のパパ目線、そして新聞記者の目線で子育てや世の中の気になることを読み解く、高橋天地さんの「新聞記者パパのニュースな子育て」。今回は東日本大震災の被災者たちの今を追ったドキュメンタリー映画「一陽来復 Life Goes On」について。

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連休終わりにおとずれた地震

ゴールデンウィーク後半、わが家では、仕事で予定が見えない父親を残し、妻と娘2人(5歳と1歳)の女3人が1年半ぶりに妻の実家がある岩手県花巻市を訪ねた。

帰省ラッシュを避けるために1日有休を追加、最終日となった7日の早朝5時、岩手県内陸北部を震源地とするマグニチュード5.2の地震が発生した。

花巻市は内陸部にあり、沿岸部のような甚大な津波被害こそなかったが、東日本大震災当時、最大震度6弱の揺れに見舞われた記憶はいまだ生々しく、瞬時に飛び起きた義父母と妻は、すやすやと眠る幼子2人を囲み、揺れが収まるまで離れることができなかったという。

遺された家族のその後は

災害、事件、事故、疫病、そしてそれに伴う大切な家族との別れ。突然の悲劇に見舞われた人と接する機会は、職業柄、人より多かったかもしれない。

ニュースは日々発生し、新しい出来事にどんどん押し出され過ぎ去っていくが、遺された家族はその後の人生をどう生き抜いていくのだろうか。

つらい取材の後、時折感じた想いだが、自分も親となったここ数年は、幼い子どもがかかわる痛ましい出来事を伝える1行の背後にある悲しみの大きさが恐ろしいほど身に迫るようになった。

被災者たちの今を追った長編ドキュメンタリー映画

東日本大震災(平成23年)の被災者たちの今を追った長編ドキュメンタリー映画「一陽来復 Life Goes On」(全国順次公開中)。どこまでも明るいタッチで描かれた独特の作風だ。

初めて監督を務めた尹美亜(ユン・ミア)さん(43)は、被災者たちの気持ちに寄り添うことで見えてくるものは何かを優しく語りかける。

ドキュメンタリー映画「一陽来復」の尹美亜(ユン・ミア)監督は「ありのままの被災地と被災者の言葉を記録しました」と話す(産経新聞・高橋天地撮影)

尹監督は23年の東日本大震災に衝撃を受け、25年から被災地に通い続けている。

28年の長編ドキュメンタリー映画「サンマとカタール 女川つながる人々」(乾弘明監督)ではプロデューサーを務め、甚大な津波被害を受けた宮城県女川町の復興への軌跡を丹念に追った。

「一陽来復 Life Goes On」

さて「一陽来復 Life Goes On」の舞台は、地震、津波、原発事故でそれぞれ甚大な被害を受けた岩手県釜石市、宮城県石巻市と南三陸町、福島県浪江町と川内村。

尹監督は28年から29年に計10カ月かけて100人余りの被災者に取材した。

ドキュメンタリー映画「一陽来復」に出演する宮城県石巻市の夫婦。津波で自宅が押し流され、子ども3人を失った(平成プロジェクト提供)
ドキュメンタリー映画「一陽来復」に登場する南三陸町の牡蠣漁師。津波でイカダを流されたが、養殖を再開する(平成プロジェクト提供)
ドキュメンタリー映画「一陽来復」の一場面。イネの育ち具合を確認する福島県の米作農家の男性(平成プロジェクト提供)
ドキュメンタリー映画「一陽来復」の一場面。東日本大震災の4カ月後に生まれた5歳の保育園児は元気いっぱいに過ごす(平成プロジェクト提供)

子ども3人を一度に津波で亡くした石巻市の木工職人の男性と妻がボランティア団体を作って頑張る姿のほか、震災の当日に入籍した夫を失い、5歳となった女の子と懸命に生きる南三陸町の妻…。

映画の中で約20人の被災者がその後の生活を語る。

目に見えない背負ったものを描く

ドキュメンタリー映画「一陽来復」の一場面。東日本大震災の被災地の親子が犠牲者に祈りを捧げる(平成プロジェクト提供)

尹監督の思いは、タイトルに凝縮されている。一陽来復。冬が去って春が来ること。悪いことが続いた後、よい方へ向かうこと。

喪失感や葛藤にさいなまれながらも、手探りで明日に向かって進む彼らの心の復興にそっと寄り添いたかった

と話す尹監督。では、どんなテイストを反映させたのか。「心の復興を描くのだから、可能な限り明るいタッチで描いた」。

例えば、地震発生時の津波など悲惨な記憶を呼び覚ます映像は盛り込まなかった。

「皆、いろんなものを背負って生きている。それは顔に書いてあるわけではない。でも人が生きるってそういうことなんだ」。

石巻市の木工職人が何気なく発したこの言葉が映画化の原動力となり、肉薄すべき事実だと考えた。

「ハードの復興は目を見張るものがあるが、心の復興は目に見えない。映画を通して、見えないものを意識して見ていく努力を重ねることで被災者と感情を共有でき、いざというときの連帯につながる萌芽(ほうが)となるのではないか」

共感は思いがけない力に

東日本大震災を描くドキュメンタリー作品は、すでにたくさん制作されているが、どんな差別化を図ったのか。

尹監督は「劇場を訪れる鑑賞者が震災に関わった人ばかり…という状況は避けたかった。老若男女、大勢の人たちに見てもらい、震災の悲劇は誰にでも起こり得ることであり、自分の問題として考えてほしい」と強調する。

「そして、被災地の現状、被災者たちの言葉をありのままに伝える。そのうえで、さまざまに過酷な状況の中で、人間はこうして生きているんだと、知ってもらいたかった」

尹監督自身が改めて考えたこと

また、政治的喧伝に陥らないことも強く意識した。

「たくさんの人が出演しているのにそれではいけない。映画では、旧知の間柄である東京電力の社員と地元の人々がごく当たり前に、地域の行事で交流している姿も盛り込みました。これも厳然たる事実なのです」

完成した映画をスクリーンで鑑賞し、尹監督自身改めて考えたことがある。

心が寄り添う。それは、被災者と一緒に感情を共有することです。
実際に被災者と会わなくても、映画を通して感情を共有してもいい。

「大勢の人々の心が被災者に寄り添えば、たくさんの感情が共有され、それは例えば別の天災が起きたときなどに思いがけない大きな力を発揮するはず」

いつか子どもたちにも

震災直後は足を運ぶ勇気がなかった沿岸を半年以上たってようやく訪ねたという義父母は、一度は津波にさらわれながら自力で海から生還した奇跡の女将と一緒に写真撮影をしてもらい、笑顔で握手を交わし、大いに勇気をもらったという。

一見しただけでは分からなくても、生活を立て直し、深い悲しみからようやく這い上がりつつある関係者は身近にも大勢存在するのかもしれない。

また、政府の地震調査研究推進本部によれば、今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率がなんと81%という街で暮らすわが家も、他人事で済ますことはできない問題だろう。

妻によれば、娘たちの通う保育園は月に1度、避難訓練を実施してくれている。

災害への日頃の備えと合わせ、いつか娘たちが物心ついたら、この映画を見せ、心の復興を目指して前へと進む人たちの強く美しい姿も伝えたいと思う。

この記事を書いたライター

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高橋天地さん

1995年、慶應義塾大文学部独文学専攻を卒業後、産経新聞社へ入社。水戸支局、整理部、多摩支局、運動部などを経て、SANKEI EXPRESSで9年間映画取材に従事。現在は文化部。学芸班(文学)、生活班(育児、ファッション、介護、医療、食事、マネーなど)を経て、2017年10月から芸能メディア班に所属し、映画取材を担当。2019年5月1日より公式サイト「産経ニュース」のWEB編集チームに所属

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