「自分で選んだ」と言われることへの疑問

本日もおつかれさまです♪ 6歳と3歳の2児ママ、乳幼児睡眠コンサルタントねんねのりえです。

今日はずっと私がもやもやを抱えていたことを書いてみます。

ワーママのみなさん、ワーママであることを上司や周りの人に「自分で選んだんだから」とか「自分で選んだとはいえ」って言われたことありませんか?

私は以前勤めていた会社の上司に言われたことがあります。個人面談の際近況を話している時でした。日々仕事に家事に育児に忙しくしている近況を伝えたら「自分で選んだこととはいえ、大変だよね」と言われたのです。

気遣ってかけてくれた言葉だと思いますが、「大変だよね」という共感の言葉だけでいいはずなのに、「自分で選んだこととはいえ」とあえて言われることに私は違和感を感じました。

なぜ違和感を感じるのか?この言葉は、裏を返せば「自分で選んだことなんだから責任もって頑張れよ」という圧にも捉えられ、そして他人事としての言葉の冷たさを感じたからです。

自分で選んだこと、たしかにそうです。自分でこの道を選びました。子どもを持つことも、子育てしながら働くことも。でもこれは、女性という生き物にとっては選択を迫られた上での非常に自然な選択の1つだとも思います。

子どもを産むというのは人間の子孫繁栄における動物的本能です。働くことも、キャリアを築いていくことも、社会や人の役に立ちたいと思うことも、自己実現欲求も、私は人間にとってごく自然なことと捉えています。

今までずっと仕事を頑張ってきた人が、妊娠出産をきっかけに、これまで一生懸命頑張ってきた経験やキャリアをなんのためらいもなく悩まず手放せる人なんてどれくらいいるのでしょうか?

どんな選択だったとしても、なにも悩まずに決断している人なんていないです。ママはみんな悩みながら、正解かわからないままとにかく日々目の前のやることをやって生きるしかないから頑張っているんです。

男性は妊娠出産はしないので、こんな選択を迫られることはなく悩んだ経験もないでしょう。他人事で、当事者意識がないからこそ「自分で選んだんだから」という言葉が無意識に出るのかなと思います。

日本としてはどうでしょうか。女性も社会進出!と言われ、一方で少子化対策も議論の中心で、女性が安心して子どもを産めるように対策が求められていますね。

日本としても女性に働いてもらいたいし、子どもを産んでもほしいというメッセージを社会に発信しています。
(女性は一体ひとりで何役やればいいねん!という求められることの多さへのつっこみも深く書きたいところですが、今回は一旦置いておきます)

決断を迫られざるをえない女性特有の背景、そしてこの日本の女性に対する働けよ産めよの状況の中で、働きながら子育てをする「ワーママ」として奮闘していることを、敢えて「自分で選んだんだから」と言うのは、いかがなものでしょうか?みなさんはどう思いますか?

日本全国のワーママ部下がいる上司、男性のみなさんへ。 「自分で選んだんだから」という言葉は不要です。ワーママが頑張っていることへの尊重と労りと共感だけで結構です!

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ねんねのりえさん ねんねオタクの2児ママ

乳幼児の睡眠コンサルタントで2児のママ。2023年に会社を退職し、〈0〜5歳の睡眠相談imaneru〉を開業。こどもの睡眠や、日常について投稿していきます。Instagramでも寝かしつけについて情報発信中!趣味は読書、ダンス、カラオケです♪

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