コロナ罹患中に実父の訃報

5歳息子のコロナ陽性が判明した頃、私自身が喉の違和感→高熱に。 私もコロナ陽性となり、安静にしていた12月、夜中に電話が鳴った。

入院している実の父親の病院からだった。次いで兄から電話。病院からは「心臓が弱まっています。」たしかそんな電話だった。私は、高熱から脱したもののまだ微熱や頭痛があった。さらには持病があるために重症化リスト該当者と告げられており、持病の悪化も懸念していたが無事徐々に改善していった。

病院からの夜中の電話を受け、その後しばらくして父親の心臓が止まった。コロナ罹患中につき、父親にすぐに会いに行くことが叶わなかった。

自宅療養期間解除を待って、葬儀は4日後に

家族葬をするにもコロナを罹っているためすぐに葬儀を行うことはできず。必死に病と戦い抜いた最期の父に早く言葉をかけたい思いでいっぱいではあった。コロナ時代に突入し、入院中の父親に会えないため、交換日記をしていたが、やはり直接会って話ができるのとできないのとでは、何かが違った。

父の交換日記の返事がないからといって、私はなぜとめてしまったんだろう。伝えられることは全て父に伝えられたら良かったのに。最後の交換日記のページ、弱った父は読めなかったかな。感謝の心は伝わっていたかな。

5歳息子からかけられた言葉

「涙は1週間くらいしたら出なくなってくるよ。」→息子の予言通り、和らいだ。

コロナの症状である鼻水鼻詰まりと相まって、涙も鼻水も小さな海ができたような何が何だかわからない1週間だったが、父の最期の姿は、弱音も吐かずに病に懸命に立ち向かい懸命に頑張った姿だった。

趣味で司会を請け負うほどとにかく喋ることが大好きな父親だったが、入院してからは、えらい聞き上手になり、交換日記でもなぜか私自身が励まされていた。カラオケに行くと、間奏でも必ずトークを入れ、さぁ歌っていただきましょう〇〇さん!とあの軽快な謎のトーク力のある父親をどこか今でも尊敬している。

けんかをして口を聞かない日があったことも、倒れた日のことも、父と2人で歩いて病院に行った日のことも、友だちと父がお酒を交わしたくさん話した日のことも、大自然が好きでいろんな自然のある場所へ旅行した日のことも、おじいちゃんになった日のことも、孫の成長を楽しみにしてくれている日のことも、全てがいま、思い出に変わった。

なんかもうつかめない寂しさみたいなものはあるが、思い出がたくさん生きている感じがする。これからも。

最期の父親とたくさん話すことができて良かった。ゆっくり休んで、天国で大好きなクサヤを食べてほしい。

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ゆうまりさん 難病「潰瘍性大腸炎」に負けないはっぴぃLIFEを送りたい

6歳息子は認可外の小規模保育園卒園後に幼稚園へ。幼稚園は退園し現在は保育園児。ヘアアレンジとオシャレ、時短&節約ワザの情報収集が好き。結婚前は半年に1回、大好きな西表島に逢いに。大自然の中でのアクティビティを親子で楽しむのが夢。

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