きっかけは、あるテレビ番組

私が小学二年生頃、自宅で戦争のドキュメンタリー番組を観ました。今でも覚えているのが、戦車が走っている場面。幼かった私はとても恐怖を感じ、「明日もし戦争になったら、どうしよう…」と母親に涙ぐみながら訴えかけたことを今でも覚えています。それ以来、学校の図書館で戦争にまつわる本、とりわけ、沖縄のひめゆり学徒隊や東京大空襲、広島・長崎の原爆など、子供が犠牲になってしまった体験を多く読んでいました。当時は自分が子供だったので、同じ子供目線に重ねていたと思います。アンネの日記も何度も読みました。

第二次世界大戦中、私の祖父母は小学生で仙台に住んでいました。市街地から少し離れていたので、空襲に遭ったことがなく「仙台空襲を遠くから見ていた。夜なのに、昼間のように明るくなった」と教えてくれました。私たちの祖父母世代が経験してる戦争。私は小学生のときからそんな遠い記憶に思えない感覚があります。みなさんはどのように感じますか?

ちょっと視点を変えて… 自分の子ども時代を振り返り、いつどこでどのようにして何に子供は強い興味を抱くかは未知だなぁと改めて思います。同じ環境で、同じテレビ番組を見て育った二つ下の弟は、戦争に関心のある様子はありません。親になった今、世界で起こっていることや歴史にまつわるドキュメンタリー番組を見せたり、色んなところに一緒に出掛けて体験させたりなど、この世界では様々なことが起きている・繋がっているということに触れる機会をつくることが、子供の関心を抱く種まきになるかと思っています。あくまでも私ができることは「種まき」なので、そこから芽が出るか出ないか、どんな風に育んでいくか、我が子を信じて見守る存在でありたいです。

今年の夏から始めたこと

いつか戦争を次の世代に伝えていきたい気持ちが高まる中、ついに今年の夏に行動にうつすことができました。行政や博物館などに問い合わせた結果、住んでいる地域の生涯学習センターで語り部の会が定期的に開催されていることが分かりました。しかも、その場所は長男の保育園から徒歩5分で、まさに灯台もと暗し。月に二回、次男を抱っこして参加をしています。この会は80代半ばから90代の方々が10人ほど集まり、戦争の体験を語り合っています。最高齢は97歳!この方は学徒出陣して、こんな話もしてくださいました。

「入隊して6カ月間は1日20発くらい殴られた。殴る人は大体同じ人。定期的に東京の実家に帰ったとき、母親が自分の顔を見て、泣いた。殴られて赤くみみずばれになっていたので。軍隊には鏡なんてなかったから、自分の顔がどうゆうふうになっているのか分からなかった。自分に星が一つついた(昇級した)とき、部下を殴ろうとは思わなかった。だけど、一人だけ態度がどうしても悪くて、殴ったことがある。そのとき、やっぱり自分は人を殴るのが嫌いだと確信した。振り返れば、自分は親から殴られたことがない。」

特に「自分は人を殴るのが嫌い。自分は親から殴られたことがない。」という言葉、私は心に響きました。なぜなら、戦時中の精神的肉体的にも厳しいはずである軍隊の環境下においても、人として揺るぎない心や行動は親の教育によって形成されると思ったからです。

私が戦争に関心をもったときは子どもの目線からみていましたが、今その子どもの視点は我が子に重なり、これからの世代のために何を伝えていけるかと考えています。その大前提には、毎回貴重な体験談を共有してくださっている方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

戦争中と現代の子ども達

語り部の会に参加している80代半ばの方々の大半は、戦争中に学童疎開していました。場所によって食糧事情が異なっていますが、那須塩原のお寺や旅館に疎開していた方は「いつもお腹が減っていた。自分も含めて栄養失調になる子も多く、歯ぐきから血が出てきた」と言ってました。当時の食事は、朝はみそ汁・昆布・かぼちゃ、昼は雑炊・かぼちゃ、夜はかぼちゃの煮付。こんな献立がほぼ毎日続いたそうです。中には、かぼちゃをみると疎開のことを思い出すから苦手という方もいらっしゃいます。

比べるのは憚られるのですが、当時と今の子どもの食事。それだけでも今がどれだけ恵まれているのか…。語り部のおじいちゃんおばあちゃんは、赤ちゃんの次男に「こんな幸せな時代に生まれてきて良かったね」と話し掛けて可愛がってくれます。

疎開中の遊びについて聞いたところ、物資不足でオモチャはもちろん、十分な文房具もなかった時代です。自然の草木をつかって、子ども達自ら遊びを生み出していたそうです。例えば、生えている雑草を結んで転びやすい罠を作り、その先に落とし穴を作ったり(笑) 長い釘を拾ったら、誰が一番土に深く埋められるかを競ったり。「何もないなりに、自分たちで遊びを作り出すことには長けていましたね」という言葉も印象的でした。

小学生で親元を離れ、食料も何もないという非常に過酷な状況下で生き抜いてきた人々の強さを感じ、現代のくらしを見つめ直すことで、人間が本来もっている力を毎回考えさせられます。

これから

小学二年生のとき「明日もし戦争になったら、どうしよう…」と言った私に、母は「大丈夫、戦争にならないから」と言ってくれました。
時代や様相は違うけど、世界中ではいまだに紛争が絶えず続いている中、私が子どもに聞かれたら、なんて答えるだろう。

子どもと対話をする一つのアプローチが、絵本です。たとえば、加古里子さんや谷川俊太郎さんの作品。お二人は少年時代に戦争を経験して、それぞれの作品にご自身の経験や平和への想いを一貫して込めていることをインタビュー記事でお話していました。中でも、私のお気に入りは「からすのパンやさん」です。何度みても、カラスやパンの絵ひとつひとつに惹きつけられます。加古里子さんの「未来のだるまちゃんへ」(文藝春秋)を読んだところ、カラスやパンが同じように見えても少しずつ違うというのが肝心で「多様である」と、この社会の特徴をもあらわしていました。そんな理屈を知らなくても、子どもと絵本を通じて作家のメッセージを感じてみるのはいかがでしょうか。

今年を振り返り、語り部の会に参加できたことが大きな一歩であり、大切な財産になっています。来年は小学校への出前授業など、もっと活動を広げていきたいです!おじいちゃんおばあちゃんもよく言っていますが、私たちは「種まき」の活動。どう感じるかは子ども一人ひとりに委ね、生きることは喜びであふれている、そう思えるような社会をつくるお手伝いをできればと強く思っています。

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エシカルマンマさん

家族:夫、息子2人(2歳・5歳)
宮城県仙台市出身、東京都在住。2011年の東日本大震災をきっかけに、エシカルな仕事をしたいと決意。2015年に一般社団法人エシカル協会の立ち上げから携わり、エシカル消費の普及啓発の活動をしています。エシカル子育てを日々考え、楽しみながら試行錯誤中。

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