家事の時短には掃除や洗濯などいろいろありますが、とりわけ注目度が高いのは料理の時短です。

わが家では自動調理家電としてホットクックを導入、毎日の食事準備に重宝しています。その反面、妻は「おふくろの味」を気にするようになってきました。自動調理だとおふくろの味は失われるのでしょうか?

おふくろの味とは何か

 Wikipediaでは次のように説明されています。

おふくろの味(おふくろのあじ)は、幼少期に経験した家庭料理、もしくはそれによって形成された味覚、またそれらを想起させる料理を指す言葉

簡単に言うと小さい頃に(母)親がよく出してくれた料理です。肉じゃがやカレーライスが引き合いに出されることが多いです。

調理の手間がなくなると、おふくろの味ではなくなるのか

ホットクックでカレーライスやシチューなどメインの料理が作られるようになったことで、妻はわが家の家庭料理の将来を危惧しています。

「子どもたちが大人になったときに、おふくろの味はホットクックの味になってしまうのではないか」

私はそのようには思っていないのですが、妻が言わんとしていることは理解できました。おそらく「誰でも同じ味の料理ができると、家庭料理の意味がなくなるのではないか」ということを恐れているのだと思います。

確かに「食べ慣れた味」は幼少期に形成されるため、自動調理によって味付けや具材に家庭ごとのばらつきがなくなると、今までのようなおふくろの味に関する(大人同士の)議論が少なくなります。違いがあることが議論の入り口だからです。

しかし家庭料理の味に違いがないからと言って、おふくろの味がないとは言えません。おふくろの味とは味そのものよりも、幼少期の記憶(思い出)とともにあるものだからです。

ホットクックの料理を食べて育ったのであれば、むしろおふくろの味が再現しやすくていいと思います。共働き世帯の方が専業主婦世帯よりも多い現在では、料理にじっくり時間をかけるにはコスト(機会費用)が高くなりすぎています。

品質を落とさずに時短できるのであれば、(費用にもよりますが)迷わずやるべきです。時代が進めば利便性は(通常)上がっていきます。利便性向上は愛情云々よりむしろ、時代の流れです。

仕事で例えると、設計ソフトウェアを使わずに鉛筆と定規で図面を描くのは丁寧な仕事とは言いません。

言語に例えると、標準語が日本全国で使えるようになって格段にコミュニケーションがしやすくなっています(対照的なのが秋田弁、津軽弁、沖縄語といった方言でしょうか)。

「効率化は手抜き!手間をかけるのが愛情!」と言う人に惑わされてはいけません。そのような人には「ガスコンロ(IH)は手抜き!かまどに竹筒で料理するのが愛情!」と言い返しましょう。

調理に最も影響するのは火加減なのですから、そこに手を抜いてはいけませんよね。 

ホットクックが定番になると、家族の絆は深まる

ホットクックを使うと、調理が最適化されます。つまり、ホットクックは単なる家庭料理ではなく、家庭料理のプロが作った料理を味わえるということです。

料理の質が上がれば、生活の質はかなり上がります。そして料理にかける必要がなくなった分を家族団欒の時間に使えば、家族の絆はより深まるのではないでしょうか。

最後になりましたが、ここまでに書いたことは従来の方法で料理することを否定するものではありません。

手持ちの時間や料理の習熟度、やる気によって最適な方法は変わってきます。そしてホットクックはあくまで自動調理鍋なので、鍋料理以外は不得手です。迷っている方は、ぜひ使ってみてください。

おふくろの味は大事だけれども、家族が対話する時間はもっと大事

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共働きおやじ研究所さん

4歳と2歳の姉妹を持つ30代中盤の父親です。妻は2022年4月に職場復帰。祖父母サポートなし共働き家庭を続けていくために、父親育児の手法を研究しています。
研究成果を公開し、親父の地位向上を目指しています。
仕事と家庭と自己実現の三方良しが人生の目標です。

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